まりりんの ひだまり通信 2024年 4月号

やめて! 出張中の船の中……常識とか一般教養とかけ離れた自分勝手な行動は不快な気持ちしか残しません。

12月も暖冬の話にウキウキしていた矢先の12日、窓を開ければ……港が見える……はず もなく、一面の銀世界……うっそぉ~~~!気象庁責任取ってよ!!と雄たけび上げる も、この風景は紛れもない冬景色。そんなわけで、庭木の雪対策が断行された。    予定外じゃぁとのたもうてもどうしようもなかんべさ!まぁそんなわけで、今年もあと数時間を残すのみです。 今年も1年ありがとうございました。

 

 

今年の金木犀は遅咲きで、通常なら9月の長雨で散るのに、10月半ばでもまだ咲く気配が遅く、やっと咲き始めてもご覧のように南北で全く花の付き方が違う……いかに今年の暑さが異常であったかがわかる現象。加えて、蝉の抜け殻が多かったこと。いたるところに抜け殻があり、慌てて競争しながら地中から這い出した感じすらします。屋根にかかりそうな樹を切っていたら、手のひらに乗る程度の大きなモリアオガエルが這い上がってきた。樹が倒れ横になっているのに必死で上方?へ。あんたなぁそっちは土やでぇ……言ってもわからんなぁ、そのまんま茂みに消えました。

ニャンとも我が家のベランダにモリアオガエルがお出ましに。 まるで日向ぼっこみたいにのんびりとこんなポーズで、なにかお腹の前に抱えているけどよくわかりません。クチナシの咲き誇る止まり木に鎮座ましまして。捨て猫くんもこれを狙っているようで、先日はこの暑い日盛りの中、庭の真ん中でトノサマガエルを飲み込んで食事中には「おお前生きてたんかぁ……セミたちはそこら中から這い出して、梅雨が開けたからもう雨の心配もないと思ったのか、朝から大合唱。河鹿のコーラスも相変わらずの美声で涼を感じさせてくれます。

 

マークエステルさんの訃報

一昨年お逢いしたときはお元気で、相変わらずショコラが好物でやめられないと言ってました。私と同じ歳で1,943年2月26日と、彼のほうが2週間早生まれですが「私も年だから……」っていうから、「わたしは何処も悪くないから、同じ年だし、まだまだ大丈夫」って言って……でも、何度も倒れたからと少し心配顔でした。          私と同じ顔彩を使っているので「おんなじだ」と言うと、「色が綺麗だから」と言われました。                                    ところでパレットは?と尋ねると、なんとテーブルの上に色を出してそこから筆にとり加筆……「ありゃぁ~……」絶句。それを聞いていたずら坊主みたいにニコニコされて。お会いすると、私のゴッドハンドでリラックスはお決まりのパターンですが、本当に素直な心の持ち主でした。アフリカに学校を作ったり、彼の仕事は人のために行動するという哲学で満たされていました。また一人私は良き友を失いました。こうして一人また一人と失ってゆき、やがては私の番が来るのだという感触が強くなるこの頃です。

                            合掌   はるのゆうに

 

 

 

 

 

 

旬じゃぁ旬じゃぁ

例年たけのこはすべてがイノシシとじもと?かどうかわからないけど取り尽くされて皆無。ところがどっこい産直にはどっさり出ている……もしや、ナンテ考えるのはいかん!!と言うことで、あれでもト、今年も竹やぶに入ってみたらば……やっぱりイノシシの千客万来だ!でも先っぽwpかじっただけのやつを掘り出すと、ニャンとワンとあったわいなぁ。と言うわけで、数年らいの収穫で、もうたけのこ三昧の3日間、そこそこ飽きが来たところだ。筍飯に豚肉とのコショー入り炒めもの、天ぷらもよろしい!木の芽和えはポピュラーだけどやっぱり懐かしく美味い!!きのこあえも美味しかったなぁ。とはいえ、相変わらず鹿ぽん部隊が出没は日常茶飯事、庭木や草花は全面板塀で囲って……。塀ぇ~ みたいな話だ。タラの芽も、すっかり間延びしてしまい、タラの芽ではなくタラの葉天ぷらに藤の花の天ぷらもブチ美味かった!!!季節じゃなぁ

 

かんべんして

 

バタバタと身の回りで難題が勃発し、それに対応している間に時は流れ過ぎていた。  まぁそんなもんでしょうと思っているうちにもはや3月、税金の日だぁ……      コロナのお陰で収入源は壊滅状態となった上に補助金は家計を直撃する世界情勢に追い つかず火だるま状態のママ、検討使総理は国民への意識不在で、海外へばらまき決定。 国民は彼の眼中にはなく、あるのは身内への寛容と己の自己保身のみ。なんとかして欲  しいものですが、後継者不在という,最悪の場面で最悪の状態に陥っている。     電気もガスも生活用品も食料も、うなぎが笑うほど急上昇!節約しろと言われても、 もともと精一杯の節約をしているのだから、これ以上はストーヴをつけない。電気毛布もつ けない、テレビなんてとんでもない、それでも電気料金もガスも目を疑いたくなるほど桁が一つ違っているのではと思えるほど……国会議員の縮小や、給与の見直しなど、もっと身を切る改革ヲト、願うのはお門違いのようで、国民が平等に負担すべき???? とのたまう。クリスマス寒波で道路が消滅、レスキューの除雪をしてもらっても、それは個人負担という、生きるための作業が地方自治体ではできないお定めという。   このやるせない生活状況を少しでも改善してくれるかと思いきや、企業に賃上げをお願いすると言うばかり。お願いされても収入がないところはどうせぇちゅうの?。あの人の頭の中は蜘蛛の巣が張り巡らされていてカラマーゾフの兄弟だにゃぁ       議員宿舎はタダ同然に値下げして、お財布を太らせる懸案は即決!!!やめて!!!!お願い!!ガソリンも元売りが懐を暖かくするだけ。トリガー条項をなくとか、日祭日は高速料金無料にすれば、出たい人はでかけてその先が潤うのに、道路族の懐が寂しくなることはやらない!!本気でやれやぁ!!と、ただ吠えるだけの情けなさですなぁ

 

 

自宅待機は地獄の始まり

11月末から12月末まで、相方のアクシデントでネットを開くまもなく、年を越してしまった。前日大きな仕事を終えたばかりなので、疲れたと言って上に上がって休んでいる間に、こちらは外装周りの作業、それを終えて室内へ戻ったものの、未だに降りてこない。すでに6時間ほどが経過している。妙に感じて上に上がってみるとぐったりしている。熱を測ると40度越え……これはもしやコロナ!!ここっ判断が狂ってしまった、まぁ無理もない、昨今流行りのものだから。                                     それで時計を見ればもう病院はおそすぎた、で解熱剤と思ったが、そのようなものを常備しているはずもなく、慌ててあ薬局まで20分走り「解熱剤をください」というと「3番です」と奥の棚を示したので、そこへゆくも解熱剤という表示のものは全くない、取って返して「解熱剤です」と再度いうと「あの奥のものがそうです」と再び同じところを。「あそこには鎮痛剤下ありませんが」「それが解熱愛です、今は解熱剤はなく、全て鎮痛剤に含まれています」とのたまう。それなら我が家にはあったのに……      で、戻りに水分補給にと、ユンケルとブドウ糖のジェルなどを求めて戻り飲ませる。速攻で平熱まで下がった。翌朝測るとまた40度……身動き1つできない。                      トイレに立つこともできず、引きずって便座に座らせ用を済ませる。水分補給にと思ったジェルも吸い込む力もなく転がっている。ペットボトルに水や即エネルギーになるりんごジュース入れて飲ませる。病院へ連れてゆこうにも80前の老骨が50キロもある身体をおんぶして階段を降りるのは不可能だ。                                 3日目の解熱剤が効いたところで肩につかまらせ「左・右」言いながら階段を降り、下二マットレスを敷いて寝かせ、解熱剤は飲ませすぎると、今度は胃がやられる。様子を見ながらの繰り返しで3日が過ぎた。これがメディアで言うところの自宅待機の実態だ。  やってみて初めてあの無慈悲な政府のやり方が理解できた。せめて自宅待機のときはどのような処置や方法があるのか、それらの報道をしないのか、メディアとはただ単なるその日のコロナ陽性者の報告だけという、橋本風に言えばオクソ法だ。熱の移行を見定める自宅待機とは、このような苦しみだということを報じない報道メディアもおくそものだ。明日は土曜、ならば更に苦しみを与えるだけ、熱を下げ所で朝イチで病院へ電話したが、午後1時半きっかりに駐車場から電話をするよう指示があり、ウンウン言いながらその時を待ち、連絡したら発熱外来の処置で事前の抗原検査……これで1時間。   やっと陰性と判明したが、今度は唾液の採取、これがまた無理難題。何しろ光熱で喉はカラカラだ唾液など出るはずもなく、看護婦さんが茶碗に梅干し入れて持ってきてくれ「食べてはダメですよ」と言われながらも、全く出ず、衰弱もひどいのでひとまず戻って休ませた。夕刻5時過ぎに「少し出た」というので見たら必要な3分の1……それで元病院へ電話すると「それでも持ってきてください」と言われ持参。結果は土曜日の6時までにお知らせします。電話がなかったら陰性だとお考えください。うい弱していても点滴一つ打ってもらえないのが発熱外来の実情でした。6路過ぎても連絡がないので、かねて確認していた救急相談の答えを実行することにして救急車を呼ぶ。土曜午後7時前に到着したものの、受け入れ先が決まらず30分。やっと受け入れ先が決まり救急搬送    私が病院減ったどり着くと、すでに受け渡しも済み戻られるところで、お礼を述べ院内へ、そこでまたPCR検査が待っていた。「陰性と判明したのですが」というものの、今日はきょうですと冷たい返事。待つこと時間「陰性と判明したので今処置室におられます」と知らせてくれた。それから2時間してドクターに呼ばれ説明を受け、原因は急性腎盂腎炎と判明!愕然とした。足がむくんでいたのはこいつのせいだった!足がむくめば腎臓と日頃なら即答できたのに、時が時で私も最初の医師も、初めからコロナありきでかかったことが裏目に出たわけだ、悔やんでもくやみきれない!             処置は大量の抗生剤投与である。                                 こうして11月から12月にわたって2週間の入院。やっと家に戻ったものの膝が痛くて立つこともできない。そこでマツダ病院の膝専門のところへ。ところが膝のレントゲンでは全くの異常なし。普通なら飛び上がるほど痛むところを押しても全く痛みなし。      ドクター曰く「自分が嫌いと思うと、脳はそれを汲み取って痛みを発するんです、帰りは車いすではなく歩いて帰りなさい」そういう言われ、よたよたしながらでも歩きました。それから12月半ば「股関節が痛いということで、再びマツダ病院の股関節専門外来へ「これはまたよくここまで我慢して……と呆れて物が言えない風のドクターのことば。で、即刻入院・手術と言う運びになった。レントゲンを見ると、まるでヘチマたわしのように黒い穴や繊維状のスカスカ状態の骨に、開いた口が塞がらない。            よくぞ折れなかったものと……こうしてとうとう今年の正月は2年連続病院ぐらし。  発熱外来などという安直な言葉で片付けられている内情はこのような苦しみをその家族に押し付けていることを知ってほしいものです。                   そうすればもう少し予防接種も、無駄に数億円をどぶに捨てることもすくなくなるのではないでしょうか?

 

 

さささっ……猿が出た

久しぶりのチェンソーは20年以上使っていなくて、もはや華麗なる末期高齢物と化し、今度はハスクバーナを購入。私が絶命するときにも、ピンンピンしとると想う。  まぁそいつを持ち出して、20センチほどの雑木を20本ほど伐採作業。       これが思った以上に老骨に応えましてん。あげくに樹が倒れる瞬間跳ねるおそれがあるので、体を逃がすことも必要。これは昔の経験から学んだ貴重な作法。だが、いかんせん御老体である、こいつをちょいと忘れておったわけで、退いた足元がぬかっていて前のめりに転倒!チェンソーは流石に反射的にストップレバーを跳ね上げていて、怪我は免れたものの、なるほど怪我とは、我れが怪しいことをした結果と納得。右膝のつなぎはざっくりと裂け……おまけに目の前に寝そべっていた岩石とご対面。帽子があったからまだ左程ではなかったものの、見事に市川右太衛門(ふふふっ古い!さすがに恥ずかしいなぁ)この三日月傷が目に入らぬかぁ(印籠とちゃいますねんよ)        まぁええか!どこに出しても恥ずかしいかいじゃぁ、多少の造作の変更はやむをえぬ!        というわけで、道路はすっかり見通しが良くなったという昔話じゃぁよ。

 

今年はクワガタが闖入です。例年はカブトムシが多く、網戸の網に止まっていて、開けるとさっさと部屋に潜り込み、ブンブン部屋中飛びまわる。天井のシーリングフェンに跳ね飛ばされて、気絶することもしばしばあります。いずれもつまみ出して外界へ戻してやりますが、なんとも居心地が良いのか再び舞い戻って来てはブンブンと飛び回ります。今年はセミが遅く、また少なかったけど今頃はうるさいほどみんみん鳴いています。今日も倉庫で草刈り機の手入れをしていたら、いきなり背後から抱きつかれ?オラァびっくりこいたでよぅ、シャツをバタバタさせて振りほどけば、なんとクマセミがぽとりと落ちてきよっただがや!ほんまもんの熊でなくってよかった……です。毎朝五時にはカジカのコーラスで目覚める……不便という贅沢の代表だがや。夕方になると一斉にカジカが鳴き始め、今年は熱さで激減したのかと思ったけんど、梅雨が開けて雨が降ったら一斉にバックコーラスを交えての大合唱、少々辟易するも、コレも贅沢の極みじゃぁ。暗くなるとピタリと止んで、ご就寝あそばすようでんなぁ。

 

 

日常茶飯事このように、家の周りをうろつかれては子鹿のバンビと喜ぶわけには行きません。花の芽は食い荒らすし、うっかり野菜でも外に出し忘れでもしようものなら、あっという間に跡形もなく……です。八千代産の鹿肉は美味しくて評判だそうで、難ならもっとしっかり捕獲してくれれば良いと思うのですが、漁師さんも高齢の波に押され猟友会は影も形もありません。以前は広島などからも出陣されて、程の良い状況でしたが、今どきは日中でも道路にまで出張り、時には5~6頭が道路を横断、カクカクシカジカと大手を振っての交通遮断。誰か鹿肉の焼肉店でも始めればもとでは無尽蔵!!と思いますが、こちらの市長さんは若く、やる気満々なれど、居眠り議員と意見を言わない議員は必要ないとバッサリ!ほんと、市民は大賛成ですが、議員からは猛反対で実現せずです。

市や町が主体になって鹿肉の専門店でも出して海外へ売り込んだら?本来欧米は狩猟民族だから抵抗は少ないはず、よろしければ、丘くじらとか薬喰と呼ばれるイノシシも有り余っておりますし、ご希望では熊の肉も出せますぞ。

 

 

 

暑かったり急に寒くなったりと、異常気象は普通のこととなりました。玄関前の木蓮の木にセミの抜け殻が……しかも2つも、子供の頃学校の帰り道、友達と寄り道してみかん畑に潜り込み、地中から這い出してくるクマゼミの幼虫を捕まえて持って帰り、蚊帳の中に紙箱を入れ、その中へ入れておき、翌朝早く羽化するのを眺めた記憶が蘇ります。羽化が始まると、背中が割れ始め、やがて中から成虫が出てき、初めはオパールセントの青乳白色に縮んでいた羽が大きく伸び、次第に体色も黒みが増し、羽は徐々に乾き、それに従ってしっかりとして来、やがて箱を離れてぶ~んと蚊帳の中を飛び回り始める。それを捕まえて表に出て体に糸を結んで飛ばす……今思えばずいぶんと無慈悲なことをしていたのだが、まさか7日程度の命とは思いもせず、生きたものを自分の意志で自由にできる優越感を覚えていたのでしょうか?子供は残酷なものです、でも、そうすることで生命の神秘にも触れ、学ぶことも多くあり、命の尊さも学んできました。白菜などについている紋黄蝶の蛹を取って来て、母親の鏡台の引き出しに入れておくと、数日でまゆになり、糸をで体を固定して、そこからゆっくりと羽化する。母としては全く迷惑千万な話だったろうが、黙ってそれを許してくれました。蝶が巣立った後は手がつけられないほどのフンなどでめちゃめちゃでした。今の子供達にはこのような思い出はないでしょうね。ある意味とても可愛そうな時代だとも思います。生き物を飼うことは命の尊さを学ぶとても良い機会だからです。自分がこの生命を握っているという責任感を忘れないためにも、もっと自然と触れ合う時間を作ってやらなければと思いますが、彼らにはその時間があればゲームに夢中という、新しい生き方があるのでしょう。

 

 

日本中が、世界中がコロナという見えない敵お戦っている最中に、当然ロシアがウクライナに攻め入りました。まさかというこんな非常事態の中での行動には驚きましたが、これがいかに異常かは言うまでもないでしょう、同時期に起きた福島県沖の地震は、地元福島の方々もまたあのときの……という気持ちが蘇り、恐れおののいたのではと思います。幸いと言うには実が手ですが、幸いにも被害は発表されず、事なきを得たようで一安心ですが、チェルノブイリがロシアによって爆撃を受けたというニュースは原発という極め危険なものを再認識しました。我が国もこの原発に依存した電気政策がますます増え続けることを政府内で検討されえいるということです。現在の電気依存の生活は更にこの後原発を二十基は常時動かさないと追いつかないということです。地震大国日本の沿岸部に設置される予定の原発は私達の直ぐ側に設置されるということです。喉元すぎればということわざではありませんが、もう十年前を忘れてしまっているかのような原発依存を、今こそ改めるべきときではないかお思います。電気は水力・火力・原子力が大手企業の柱ですが、いまや代替エネルギーも参入し、電力会社を経由して家庭内に入っています。この新電力は風力やソーラーパネル、バイオマスなどCo2ゼロのものであり、地球に優しい電力として認識が高まっていますが、今の豊かな暮らしは、福島など原発の災害のに恐れと共存している人達の犠牲の上に成り立っていることを改めて知ることも大事なのではないでしょうか?現在ご自分の電気がどこから供給されているのかを確認し、できるだけ新電力に供給元を変更することも、また脱原発への礎となるのです。原発依存からの脱却ヘ向けた行動をとってください。他国からの原発への攻撃があったら、広島・長崎の比ではない被害が出ることは言うまでもないでしょう。あなたにできる僅かな意識改革が福島の事故を繰り返さない力になるのです。

                     はるのゆうに

 

広島市内でシャンソンの弾き語りの店「ラ ヴィ」人生、という名前ではじめました。お店で扱うお酒はニッカだけというこだわりがあって、広島では1件しか有りませんでした。開業初日、ニッカウイスキー広島支社の支店長以下数名の方が見えられ、ニッカ談義に花が咲きました。                              その翌日12月5日、竹鶴威会長がお越しになられ、キープしてくださったボトルです。その後2度ほどお越し下さり「中々プライベートで来れなくてすみません」とゆっくりと飲まれていたことが印象的でした。少しお酒が温もり始めると「すみません、変えてください」と言われ、新しい氷に変えて飲まれました。シャンソンにじっと耳を傾けられていた穏やかな姿が今も忘れることは出来ません。このときのお酒はウイスキーはセレクション。ブランデーはVSO、ワインはミュスカデ(マスカット)赤はメドックと、いずれもニッカ関連のものでした。サントリーファンの方も見えられ「サントリーをキープしたいと言われても「まずこれを飲んでください」とニッカを差し出し、結局ニッカをキープしてくださいました。何がどうというのではありませんが、職人気質が好きだったからでしょうね。残念ながら竹鶴威会長は90歳で大往生され、ニッカウイスキーもアサヒグループに吸収されました。でもやっぱり飲むビールはスーパードライとこだわりの品です。最も今は日本酒に傾倒していて、中でも北秋田はとても好みのお酒です。お局様は土佐の栗焼酎・ダバダ火振り、がお好みで、参っている!!


同じく金子國義さんのラベルですが、こちらはメルシャンワインに注文して200本限定でした。噂を聞きつけて日本橋三越が買い付けに来まが、こちらはお断りしてそのまま販売して即刻完売しました。このラベルは印刷されたもので、まぁ珍しいというだけですが、今ではやはり貴重なラベルでしょう。

 

 

 

 

2015年78歳で亡くなられた金子國義さんのラベル

私が住んでいた福山という小都市の片隅に存在した葡萄屋という酒類販売の店主との出会いから、その友人が金子さんの友人であったために、私も少々関わって行った。                                      金子さんのエピソードは多々あるが、それを書くつもりはない。ただ友人の軌跡の一コマにいくつかの絵が登場しているので、それを紹介したいと思った。                 この版画はこの友人の洒落とお遊びから生まれた1枚で、本来ブルーの色はついていなかった。だが友人は「金子さん!色着けたよ」といっただけで100枚だけ制作し、ニッカウイスキーのピュアモルトに貼って販売した。                         おそらくこのラベルを持っている人は少ないと思う。私はそのまま持ち続けているが、もう中身があるのは殆どないと思われる。                    葡萄屋の壁面に金子さんが描いた壁画は、お祝いにやってきた金子さんを待ち受けていたのはバケツに入った濃墨汁……それを彼は取り上げると一気に描きあげたものである。私よりも7歳年上であった金子さんが残した遺産は、今どうなっているか知る由もない。                     はるのゆうに

 

 

 

 

 日高摩梨ユーチューブhttps://www.youtube.com/channel/UC07d9RIXt1phOllYUyxH3ug